2004 年台中・台北流通商業立体視察報告

2004 年台中・台北流通商業立体視察報告
関西支部 鐘井 輝
去る6 月 12 日(土)~6 月15 日(火)の 4 日間小濱先生、瀧澤先生、関西からは私が参加
して台中・台北への立体商業視察に行ってきました。
日本では梅雨真っ最中でしたが、一足早く今夏の暑さの洗礼を受けた視察となりました。
わが国は現在において、自動車・デジタル家電などを牽引に景気回復感がみられてきて
いますが、今回台湾の現状を探るため訪問しました。

今から4 年前にも当学会の視察で台北を訪れており、当時との変化も踏まえながら各地
域の状況やトピックスをレポートします。
台湾の総面積は約36,000k㎡であり、日本の四国より大きく九州よりやや小さい領土と
なっています。
台湾の総人口は約2,300 万人ですがそのうち約300 万人が台北市集まっています。1 台
湾元=3.3 円(4 年前は2.8 円でした)。年間の平均気温は30℃を越え、日本の真夏に近い
平均気温の都市です。

【台中】
到着後、台北より自動車で約150kmのところの日月潭を訪問しました。この日月潭と
は湖の名称です。太陽と月の形をしていることから名付けられたそうです。
日月潭周遊船(1 時間、1 人約1,000 円) 日月潭を背景に記念撮影
日月潭の観光客では日本人は見かけませんでした。台湾の人たちには大変有名な観光ス
ポットですが、台北から遠いという場所的な面から日本人は殆ど訪れないそうです。さら
に一昨年度の地震、昨年度のSARS、今年の総統選挙の混迷が台湾の観光に悪影響を与え
ているようです。
台中の郊外には田畑も多く、台北や高雄のように台湾経済の中心部分とはいえませんが、
来年の秋に新幹線が開通予定であり、それを見込んでのホテルなどの建設もすすめられて
- 2 -
いる状況でした。
春の字を逆に掲示(春が来た) 檳榔販売店(愛好家は1,000 万人?)

【台北】
[台北101]
アジアで一番の高層建築台北101 の視察を行いました。まもなく上海で建築されるビル
にその高さを追い抜かれるようですが、商業施設が併設された近代的なビルです。
台北101 地番プレート 台北101 玄関

本館は内装工事中で未だ入居者はありませんが、ショッピングゾーンでは有名ブランド
や台湾の有力な企業が入居してビジネスを行っています。価格は高めであり、ウィンドシ
ョッピングの地元客が多いようです。価格調査結果を以下、簡単に紹介します。
1 階のカジュアルウエアコーナーではEsprit のロングスカートが2,680NT$(8,840 円)、
Tommy Hilfiger のメンズポロシャツが2,580NT$(8,510 円)、同じくレディスデザインロ
ングパンツが2,780NT$(9,200 円)でした。
2 階にあるインポートコーナーではJean Paul Gaultier のレディスカットソーが13,200NT
$(43,560 円)、同じくAnne Klein New York のサンダルが7,800NT$(25,740 円)、Ralph
Rauren のメンズアロハシャツが14,800NT$(48,840 円)でした。

4 階のレストランゾーンでは日系の飲食店が賑わっています。代官山居酒屋の有機惣菜
セットが260NT$(860 円)、同じく創作魚料理が220NT$(730 円)、デザートが120NT
$(400 円)、WASABI-BUFFET の海老丼が180NT$(600 円)、同じく鰻丼が180NT$
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(600 円)、ちらし寿司が150NT$(500 円)でした。
2 階Anne Klein New York 店内 1階Esprit 店頭
【中華民國企業経営管理顧問協会】
以前に瀧澤先生が中小企業診断協会からの派遣で台湾の経営コンサルタントの教育をさ
れた経緯から、今でも親密な関係を維持されている中華民國企業経営管理顧問協会顧問の
劉成基先生のお骨折りで交流会が持たれました。
当日は同顧問協会理事長の王添義先生をはじめとして10 人の先生方とお会いすること
ができ、今後の販売促進学会との連携や協力について話し合いました。

また当日は中華民国経済部中小企業所財務融通組副組長の劉馨正氏も出席されて、今後
の台湾における経営コンサルタントのレベルアップの必要性を述べられました。過日、日
本からの衆議院議員の訪問時には日本と台湾の今後の一層の協力関係強化について、話し
合い場を持ったことについての報告をされました。
日本の中小企業大学校が海外からの派遣生を受け入れていない現状から、当販売促進学
会が何らか形で支援をさせていただくことも重要な意義があると考えられます。
劉馨正中小企業所財務融通組副組長 同顧問協会理事長王添義先生
【財団法人中華工商研究院】
劉成基先生は財団法人中華工商研究院の董事長も兼務されており、同財団との交流会の
設定もしていただきました。前述の中華民國企業経営管理顧問協会は主として実務的な指
導を行っているのに対し、当財団は台湾における理論面、いわば学会を統括している機関
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とみることができます。社会人教育にも熱心に取り組まれ、主に公務員の理論や知識教育
を担当されて、大学院修士課程教育についてはアメリカから先生を招き英語での授業を行
っておられる模様です。
販売促進学会も何らかの連携が行えないかを模索していく必要があり、小濱先生から同
財団に対してお招きいただいたお礼の挨拶のなかで協力を惜しまない旨の申し出がありま
した。
財団法人中華工商研究院の先生方と 左より劉先生、唐先生、瀧澤先生
【立体商業視察まとめ】
台湾は島国で日本とよく似ており、活発さは日本と同じです。しかし4 年前の台湾は経
済成長率7.9%、世界第一でしたが今は中国大陸に追い抜かれています。世界の目も生産・
需要の両面で中国大陸に集中しているのが現状です。
2001 年ITバブル崩壊後、台湾のハイテク産業も中国へ移らないと、競争の維持が困難
になり空洞化が発生してきています。ハイテク産業において台湾同様日本は大変厳しい競
争に入っていくことが予想されるため、歴史的にも友好関係の強い日台が協力して世界の
マーケットで勝ち残っていくことが求められます。
またサービス産業の成長が今後一層望まれます。インターネットが普及しリアルタイム
で情報が提供され、同一性のあるサービスが要求されています。アジアマーケットへ日台
の企業がサービスをどう展開していくかが今後の流通商業の課題といえるでしょう。
24 時間営業の飲茶レストラン 台北の人気の吉野家
「SP&MD2 号」日本販売促進学会2004 年8 月号執筆原稿
ベトナム 2003 視察レポート

ホーチミン市内はバイク交通
日本製人気高い、1,700$
中国部品輸入車は400~600$
中古自動車輸入は禁止
小売店の販売員
国民の中間年齢、日本は42 歳、ベトナムは24 歳
ベトナム 2003 視察レポート
ベトナム戦争の戦場
ベトナム戦争のトンネル
ベトナム兵が使った「クチ」トンネル入り口
ベトナム 2003 視察レポート
官庁街道路
ホーチミンのポスターが掲示されている
ドンコイ道路
イベントで多くの若者が集まる
(ホーチミン市約550 万人、ベトナム全土約8,000 万人)

ベトナム 2003 視察レポート
ベンタン市場入り口
卸売と小売は分かれていない
陶器店店頭
バッチャン村で生産される陶器は
「バッチャン焼」は「安南焼」とも
よばれている
ベトナム 2003 視察レポート
刺繍布地
ベトナム刺繍製品は世界的に有名
螺鈿使いインテリア
細かい細工のインテリア商品は
非常に安い:購入価格7$
ベトナム 2003 視察レポート
螺鈿使いインテリア
細かい細工のインテリア商品は
非常に安い:購入価格10$
木製灰皿
細かい細工のインテリア商品は
非常に安い:購入価格2$
ベトナム 2003 視察レポート
インテリア用刺繍布地
細かい細工のインテリア商品は
非常に安い:購入価格2$(フレーム除く)
インテリア用刺繍布地
細かい細工のインテリア商品は
非常に安い:購入価格3$(フレーム除く)

ベトナム 2003 視察レポート
和服縫製作業場
市内高級住宅街に立地している
和服縫製作業場入り口
和服縫製仕様書
航空便で反物と仕様書が
作業場に届けられる
ベトナム 2003 視察レポート
和服縫製 1
日本では仕立てに約30,000 円
当地では約2,000 円で仕立て可能
和服縫製 2
日本の呉服企業より定期的に仕事が入る
当地企業の投資は少ない
ベトナム 2003 視察レポート
外資企業の工業団地への誘致
日本からの投資はシンガポール、
台湾に次いで第三位
自動車部品メーカー工場内 1
工場労働者賃金は月額約60$
ベトナム 2003 視察レポート
自動車部品メーカー工場内 2
5S が徹底されている
自動車部品メーカー工場内 3
訓練用配線版が準備されている
ベトナム 2003 視察レポート
自動車部品メーカー工場内 4
ポロシャツ・帽子のカラーで作業と
職位を明確にしている
自動車部品メーカー工場内 5
2003 年基本方針

ベトナム 2003 視察レポート
ベトナムラーメン 1
野菜をちぎって
ラーメンに入れ食べる
ベトナムラーメン 1
辛子、味噌を好みで加え
揚げパンをつけて食べる
ベトナム 2003 視察レポート
MPI 玄関
MINISTRY OF PLANNING AND INVESTMENT
日本企業の投資成功率約70%、合弁企業は難しい
ベトナム 2003 視察レポート
SULECO
人民委員会海外研修生派遣サービス会社
福祉社会庁が海外の受け入れ先を斡旋
日本での賃金は約60,000 円
2003 年ベトナム視察レポート
平成15 年12 月
鐘井輝経営事務所
中小企業診断士 鐘井 輝
2003年台湾経営環境視察レポート
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2003年台湾経営環境視察レポート
帝塚山大学経済学部講師鐘井輝
2003年3月24日~28日の間、台湾企業の経営環境を調査するために高雄・台中・台
北の有力企業や施設の訪問を行い、個別企業の経営環境の現状や取組について調査しまし
た。経済動向や経営環境全般についてちょうど年前の年に同地を訪問して調査を 2000年
行いましたが、前回とは大きな異なりが見受けられています。
2000年にわが国の商工会議所にあたる台北商業総會の都彦豪駐曾顧問から台湾の現状
について説明を受けました。内容の要約は以下の通りでした。
台湾は島国で日本とよく似ており、活発さは日本と同じであり、台湾の経済成長率は今
のところ( 2000 年、7月現在)7.9% で世界第一である。
台湾経済のほとんどは、中小企業に頼っているのでこれを重んじていかなければダメに
なってしまう。過去年間中小企業は貢献してきたし、これからも変わらないだろう。
中小企業も全世界の経済の状況に合わせて、自由化と透明化に応じていく必要がある。
透明化の問題は難しい。(世界貿易機構)に加盟することになれば、ますます自由化へWTO
の取組みが大切になってくる。
コンピュータ関係は日本の中小企業とタイアップして努力していくが、伝統的な体質の
中小企業の存続が問題になっている。これからも、(靴、自転車などは)中国、ベトナムな
どへ移転していくことになろう。
新政権(陳水扁総統)の考え方は、台湾は日本やヨーロッパと同じような組織を真似て努
力して行こうという路線である過去年間李登輝総統の政策は行きたいところでも
そんなに急ぐな」とした政策だった。中国に行くにも大きい投資はしなかったので、大企
業は行けなかった。新政権ではその政策が良いのか、良くないのか検討中である。台湾企
業にとって、中国は土地や人件費など、魅力もあり、大企業もこれから中国に投資してい
くところが増えるだろうということでした。
前回の調査結果も踏まえ、以下今回の視察で気づいた点について報告します。
台湾の現状と台湾からみた日本
日本と台湾の民間ベースでの交流に中心的な役割を果たしている台中商務協議会の会長
であり、前台湾銀行頭取鄭世松氏を交え台湾の現状と台湾からみた日本というテーマ
でディスカッションを行いました。ポイントを箇条書きで挙げます。
*台湾は1970年代まで日本を手本にその後を追いかけてきた。
*アメリカ経済が良くなかった1980年代からは日本と異なった行動をとった。
具体的には台湾はハイテク方面に力を入れたアメリカ経済が良くなかった関係もあり
海外へ留学していた人材や外資系企業で働いた人材が台湾に戻ってきた。
* 1990 年代の始めにハイテクの基礎ができあがり、その後4.5~ 5%の経済成長が維持
できた。
* 1980年代後半からローテクは中国に移ったがハイテクによりカバーした。
* 1997,98年のアジアで発生した金融危機のときにも台湾は影響を受けなかった。
- 2 -
* 年ITバブル崩壊後、台湾のハイテク産業も中国へ移らないと競争が維持できな2001
くなり空洞化が発生したため、現在上海では台湾人が40~ 50万人活動している。
*サービス産業の成長が望まれる。
「インターネットが普及しリアルタイムで情報が提供され、同一性のあるサービスが要求
されている。アジアマーケットへ企業がどのようなサービスを展開していくかが課題に
なる」。
*これから中国経済の成長が脅威になる。
「台湾においてハイテクが経済に貢献したのは海外へ留学していた人材や外資系企業で働
いた人材が戻ってきた背景があったが、同様に天安門事件で流出した人材が中国に戻り
ハイテク経済成長に寄与する可能性がある。ハイテク産業において日本、韓国、台湾は
大変厳しい競争に入っていくことが予想される」。
*日本人経営者は慎重すぎるのではないか。
「オーナー経営者が少なくなり、過剰なまでにリスクを避けているのではないか。オー
ナー経営者は先行きが見えないときにも判断を行う。日本企業での起業家精神、チャレ
ンジ精神が見られない。日本では金融機関も含め先行き不透明を理由に決断を避けてい
るのではないか(決断しないことも一つの決断になるのではないか。台湾ではベンチ
ャービジネスが多くリスクのある活動もとられている。リスクがあっても判断する」。
*アメリカの経営スタイルからも学ぶべきではないか。
「アメリカは判断できる人を経営者に迎える。アメリカの企業も間違いをおかすがそれを
すぐに直す姿勢がある」。
*台湾の優秀なミドルマネージャーは将来オーナーになる夢を持っている。
「台湾ミドルマネージャーは若く、活力がある。日本人のミドルマネージャーはリストラ
に怯えていないか。台湾では職業学校を作る方向で教育が見直されている。日本では技
能職につく人がなくなってきているのではないか」。
2 サービス産業の動向
- 3 -
サービス業関係では高雄・台中・台北のいずれの訪問地でも多くのフランチャイズチェ
ーンの展開がみられました。セブンイレブンやファミリーマートなどのわが国の代表的コ
ンビニエンスストアやケンタッキーフライドチキン、ドトールコーヒーなど日本と同様の
店舗が営業を行っています。
なかでも邱永漢の導入した大創産業の「50 元ショップ」、吉野家の牛丼などが人気を集めていました特に吉野家の朝食メニューは玉子ハム牛肉コーヒーが49元約 180 円)と価格が手ごろなため大好評です。 。ちなみにアルバイト従業員の時給は90 元(320~330 円)が相場になっていました。
以上いずれの視察も経済界の方とのヒアリングを中心に行いました。今回印象が強かっ
た点は次の2点です。
①日本全体が先行きの不透明感を理由に決断や判断を避けているという指摘、
②経済活性化のためのサービス産業分野成長への期待です。
2003年と2000年のレポートの比較から、今後日本経済が再活性化するためのキーワー
ドとして
①ハングリー精神、
②リスクテイク、
③バイタリティ
を挙げることができるでしょう。
滋賀県商工会連合会機関誌年月号執筆原稿2003 5
2003年台湾経営環境視察レポート
帝塚山大学経済学部講師鐘井輝
2003年3月24日~28日の間、台湾企業の経営環境を調査するために高雄・台中・台
北の有力企業や施設の訪問を行い、個別企業の経営環境の現状や取組について調査しまし
た。経済動向や経営環境全般についてちょうど年前の年に同地を訪問して調査を 2000年
行いましたが、前回とは大きな異なりが見受けられています。
2000年にわが国の商工会議所にあたる台北商業総會の都彦豪駐曾顧問から台湾の現状
について説明を受けました。内容の要約は以下の通りでした。
台湾は島国で日本とよく似ており、活発さは日本と同じであり、台湾の経済成長率は今
のところ( 2000 年、7月現在)7.9% で世界第一である。
台湾経済のほとんどは、中小企業に頼っているのでこれを重んじていかなければダメに
なってしまう。過去年間中小企業は貢献してきたし、これからも変わらないだろう。
中小企業も全世界の経済の状況に合わせて、自由化と透明化に応じていく必要がある。
透明化の問題は難しい。(世界貿易機構)に加盟することになれば、ますます自由化へWTO
の取組みが大切になってくる。
コンピュータ関係は日本の中小企業とタイアップして努力していくが、伝統的な体質の
中小企業の存続が問題になっている。これからも、(靴、自転車などは)中国、ベトナムな
どへ移転していくことになろう。
新政権(陳水扁総統)の考え方は、台湾は日本やヨーロッパと同じような組織を真似て努
力して行こうという路線である過去年間李登輝総統の政策は行きたいところでも
そんなに急ぐな」とした政策だった。中国に行くにも大きい投資はしなかったので、大企
業は行けなかった。新政権ではその政策が良いのか、良くないのか検討中である。台湾企
業にとって、中国は土地や人件費など、魅力もあり、大企業もこれから中国に投資してい
くところが増えるだろうということでした。
前回の調査結果も踏まえ、以下今回の視察で気づいた点について報告します。
台湾の現状と台湾からみた日本
日本と台湾の民間ベースでの交流に中心的な役割を果たしている台中商務協議会の会長
であり、前台湾銀行頭取鄭世松氏を交え台湾の現状と台湾からみた日本というテーマ
でディスカッションを行いました。ポイントを箇条書きで挙げます。
*台湾は1970年代まで日本を手本にその後を追いかけてきた。
*アメリカ経済が良くなかった1980年代からは日本と異なった行動をとった。
具体的には台湾はハイテク方面に力を入れたアメリカ経済が良くなかった関係もあり
海外へ留学していた人材や外資系企業で働いた人材が台湾に戻ってきた。
* 1990 年代の始めにハイテクの基礎ができあがり、その後4.5~ 5%の経済成長が維持
できた。
* 1980年代後半からローテクは中国に移ったがハイテクによりカバーした。
* 1997,98年のアジアで発生した金融危機のときにも台湾は影響を受けなかった。
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* 年ITバブル崩壊後、台湾のハイテク産業も中国へ移らないと競争が維持できな2001
くなり空洞化が発生したため、現在上海では台湾人が40~ 50万人活動している。
*サービス産業の成長が望まれる。
「インターネットが普及しリアルタイムで情報が提供され、同一性のあるサービスが要求
されている。アジアマーケットへ企業がどのようなサービスを展開していくかが課題に
なる」。
*これから中国経済の成長が脅威になる。
「台湾においてハイテクが経済に貢献したのは海外へ留学していた人材や外資系企業で働
いた人材が戻ってきた背景があったが、同様に天安門事件で流出した人材が中国に戻り
ハイテク経済成長に寄与する可能性がある。ハイテク産業において日本、韓国、台湾は
大変厳しい競争に入っていくことが予想される」。
*日本人経営者は慎重すぎるのではないか。
「オーナー経営者が少なくなり、過剰なまでにリスクを避けているのではないか。オー
ナー経営者は先行きが見えないときにも判断を行う。日本企業での起業家精神、チャレ
ンジ精神が見られない。日本では金融機関も含め先行き不透明を理由に決断を避けてい
るのではないか(決断しないことも一つの決断になるのではないか。台湾ではベンチ
ャービジネスが多くリスクのある活動もとられている。リスクがあっても判断する」。
*アメリカの経営スタイルからも学ぶべきではないか。
「アメリカは判断できる人を経営者に迎える。アメリカの企業も間違いをおかすがそれを
すぐに直す姿勢がある」。
*台湾の優秀なミドルマネージャーは将来オーナーになる夢を持っている。
「台湾ミドルマネージャーは若く、活力がある。日本人のミドルマネージャーはリストラ
に怯えていないか。台湾では職業学校を作る方向で教育が見直されている。日本では技
能職につく人がなくなってきているのではないか」。
2 サービス産業の動向
- 3 -
サービス業関係では高雄・台中・台北のいずれの訪問地でも多くのフランチャイズチェ
ーンの展開がみられました。セブンイレブンやファミリーマートなどのわが国の代表的コ
ンビニエンスストアやケンタッキーフライドチキン、ドトールコーヒーなど日本と同様の
店舗が営業を行っています。
なかでも邱永漢の導入した大創産業の「50 元ショップ」、吉野家の牛丼などが人気を集めていました特に吉野家の朝食メニューは玉子ハム牛肉コーヒーが49元約 180 円)と価格が手ごろなため大好評です。 。ちなみにアルバイト従業員の時給は90 元(320~330 円)が相場になっていました。
以上いずれの視察も経済界の方とのヒアリングを中心に行いました。今回印象が強かっ
た点は次の2点です。
①日本全体が先行きの不透明感を理由に決断や判断を避けているという指摘、
②経済活性化のためのサービス産業分野成長への期待です。
2003年と2000年のレポートの比較から、今後日本経済が再活性化するためのキーワー
ドとして
①ハングリー精神、
②リスクテイク、
③バイタリティ
を挙げることができるでしょう。
滋賀県商工会連合会機関誌年月号執筆原稿2003 5
2003 年ハワイビジネス視察レポート

天ぷらファーストフードテイクアウト
天丼も品揃え、1000 円前後とやや価格は高いが人気を集めている。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
ネイルアートセンター
日本でも一部で人気を集めている。ネールアートインスタラクター教育も近
年実施されている。

2003 年ハワイビジネス視察レポート
各種ワゴン販売
民芸品、アクセサリーなどショッピングセンター通路上や集客スポットの広
場などで展開されている。

2003 年ハワイビジネス視察レポート
Abercrombie & Fitch
日本では見かけない衣料品の専門店。刺青ペインティングファッションなど
アウトサイダー志向ファッションで人気がある。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
パシフィック ハーレイダッビドソン
ハーレダビッドソンに乗ることをコンセプトにした店舗。ライディングに関
連したグッズ、ウエアーが品揃えされている。

2003 年ハワイビジネス視察レポート
SHANGHAI TANG
中国の都市上海をコンセプトにした店舗。紳士、婦人、子供の上海ファッシ
ョンライフを品揃えしている。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
キングス・ショッピングセンター ギフト・メモリアルショップ
陶製人形においての一流ブランド、スペインのリアドロ製の人形が豊富に品
揃えされている。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
キングス・ショッピングセンター ギフト・メモリアルショップ
ヨーロッパの女性が描かれた陶人形。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
キングス・ショッピングセンター ギフト・メモリアルショップ
ウエッジウッド製の陶器皿を壁面で陳列している。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
キングス・ショッピングセンター ギフト・メモリアルショップ
リアドロが現地の女性や女の子をモチーフにて作品を作成している。釉薬を用
いていない状態の商品はやや安く販売している。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
健康食品店
日本人観光客向けか、すべて店内説明が日本文の併記されている健康食料品
店。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
外貨両替機
郊外のショッピングセンターには外貨両替機が設置され円とドルの交換が簡
単にできる。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
ファクトリーアウトレットストア
靴のアウトレットストア。サンダル、運動靴などすべての靴が売り出し価格
で品揃えされている。
2003 年ハワイビジネス視察レポート
食料品スーパーマーケット
日系アメリカ人が約20%を占めていることからおにぎり、巻寿司、いなり寿
司などの米飯食料品がコーナーを設けて展開されている。
鐘井輝
2 0 0 2 年販売促進学会イタリア視察

2 0 0 2 年販売促進学会イタリア視察
鐘井輝
成田空港から12 時間、ミラノのマルペンサ空港に到着
してから今回のイタリア視察が始まりました。様々な角度
からアメリカの影響を色濃く受けているわが国ですが、育
まれた伝統や文化に基づいて独自の考え方や路線を追求す
るイタリアに新鮮さを感じる視察となりました。

最後の訪問地ローマでのことですが、「大きくなったら
何になりたい? 」というイタリア人の子供に対しての質問
の答えは「自分自身になりたい」でした。日本でしたら「お
父さんみたいになりたい」、「お母さんみたいになりたい」
あるいは「野球選手になりたい」、「お医者さんになりた
い」などと答えが返ってくるかも知れません。ここからも
自分自身の個性や主張を大変尊重する風土の一端が感じら
れます。
またファッションと歴史的建築物や美術品で世界中の人
々を魅了するイタリアですが、このファッションについて
もこの視察で再認識をすることができました。
それは「ファッション= 流行」が多くの人々がその時に
流行しているものを身につけるということではないという
こと。年齢や体型など個人のチャームポイントや個性を最
大限に生かすお洒落を自分なりに取り入れていくというこ
とです。従ってファッションは若い人だけが取り入れるも
のではなく、大人が自分自身を魅力的に演出する方法とし
て生かされています。

それでは駆け足ですが、今回視察したミラノ( Milano )、
ベネチア( Venezia ) 、フィレンツエ( Firenze ) そしてローマ
( Rome ) について報告することにしましょう。
ミラノ( Milano)[ 2002,6,19 ~ 20 日滞在]
ミラノはイタリア経済、ファッション、デザインの中心
地でイタリア北部の都といわれています。
- 2 -
首都ローマより国際便の発着回数が多いことからも同市
の中心性の強さがうかがえます。パリと並んで世界のファ
ッションの発信地であり、ミラノコレクションは有名です。
様々な見本市が開催されその時期には人口が倍増するとい
われています。ファッションの都を象徴するかのような
「糸と針」のモニュメントが市内中心部に設置されていま
す。この洒落たモニュメントには「なるほど」
と感心させられました。

ミラノでの主な視察先はサンタマリア・デレ・グラツイ
エ教会、ドウオモ( 大聖堂)、ビットリオ・エマヌエーレ
Ⅱ 世ガレリアです。
〈サンタマリア・デレ・グラツイエ教会〉
この教会はルネッサンス建築を代表する建物です。15 世
紀にドメニコ会の教会として建てられ、旧修道院食堂の壁
画にレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」が描かれて
います。「最後の晩餐」はキリストが「この中に裏切り者
がいる」と言った瞬間が表現されているといわれ、遠近法
テクニックや窓からの採光技術で見学者に感動を与えてい
ます。人体解剖なども含め、多方面で天才的能力を発揮し
たレオナルド・ダ・ビンチはビットリオ・エマヌエーレⅡ
世の衣装デザインも行っていたようです。ミラノファッション
の原点をかいま見たような気がしました。
〈ドウオモ( 大聖堂)〉
大聖堂はミラノの中心部に位置し、14 世紀に起工、19 世
紀に完成したイタリア中世最大の教会( 高さ108.5 m 、奥行
158 m 、最大幅93 m ) です。教会は東向きに設計され、朝
一番よく見えるようにゴシック様式で建てられています。
大聖堂内部は巨大な円柱が立ち並び広大な空間を生んで
います。またそこには15 世紀に作られた数多くのステン
ドグラスがはめ込まれています。
これらのステンドグラスには絵本の役割があり、一番下
の左側から順に右へすすみ信者に絵で宗教を教えていま
す。美しいステンドグラスの本来の重要な役割を知ること
ができました。
〈ビットリオ・エマヌエーレⅡ 世ガレリア〉
ドウオモ広場とスカラ座( 世界的に有名な格式の高いオ
ペラ座、18 世紀に再建され現在修復中) 前広場を結ぶ壮大
なアーケード( 1877 年完成) です。十字形の平面の上に巨
大なアーチとガラスで建っています。数多くのブティック、
カフェ、レストランが並び営業をしている所です。
ガレリアの近くにあるモンテ・ナポレオーネ通り、スピ
ーガ通りなどには世界的に有名な専門店が数多く点在して
います。( 写真3 セリーヌ、写真4 ディオール)
今注目のドライビングシューズ専門店「TOD'S 」でスリッ
プオンタイプのローファーを時間の関係で買い逃したのが
心残りです。
- 3 -
ベネチア( Venezia)[ 2002,6,21 日滞在]
ロメオとジュリエットの舞台となったベローナで休憩を
とり、ベネチアに到着しました。
ベネチアはイタリアの北東部、アドリア海に面した「水
の都」です。11 ~ 13 世紀の十字軍時代に現在の都市形態
の基本を整え、14 ~ 15 世紀に繁栄の頂点を極め、「アドリ
ア海の女王」の名をほしいままにしていました。絹・宝石
・塩などの独占販売などで海運共和国として栄え、その海
運技術や外交能力を発揮し、得られた富で「水の都」を彩
っています。118 の島が多数の橋と運河で結ばれ、世界有
数の観光都市を形成しています。
狭い水路を巧みに運転するゴンドラに乗って聞くことの
できたアコーディオン& カンツオーネにはベネチアならで
はの風情が感じられました。
ベネチアでの主な視察先はサン・マルコ広場、ドウカー
レ宮殿、リアルト橋です。
〈サンマルコ広場〉
この広場はサン・マルコ寺院( 総督の礼拝堂で、ギリシ
ャ十字形平面を持つビザンチン建築の傑作、11 ~ 17 世紀)
に面してドウカーレ宮殿、旧図書館、鐘楼に囲まれていま
す。ベネチア共和国の公式広場の公式広場として歴史的な
行事が行われてきました。イタリアでは6 月20 日から学校
が夏休みに入っており、バカンスシーズンで多くの観光客
が同広場を訪れています。
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〈ドウカーレ宮殿〉
ベネチア共和国の総督の邸宅兼政庁であった建物です。
14 ~ 16 世紀のゴシック様式でありながら軽やかで華麗な
姿は「アドリア海の女王」を代表するにふさわしい建築物
だといえるでしょう。同宮殿にある裁判所がシェイクスピ
アの戯曲「ベニスの商人」の舞台となっています。
同宮殿の北側には運河を隔てて隣接し、牢獄が建てられ
ています。宮殿の裁判所で刑を言い渡された囚人が橋を渡
りながら現世への別れを告げたところであることから「た
め息の橋」と呼ばれています。この場所で我々も40 ℃ 近
くの暑さのなかの視察で思わずため息をついていました。
〈リアルト橋〉
この橋は16 世紀に完成した大運河のほぼ中央にかかる
大理石の橋です。橋の上は多くの商店が軒を連ね、さらに
周辺にも商店が営業を行い、ベネチアで一番の賑わいのあ
る繁華街を形成しています。また運河沿いには市場も営業
をしており、活気に満ちています。
フィレンツエ( Firenze )[ 2002,6,22 日滞在]
フィレンツエはイタリア中部のアルノ湖畔にある古都で
す。まるで街全体が美術館であるかの様相を呈しています。
( 写真8 )
市内のいたるところに栄華の後が残り、「花の都」にふさ
わしい優雅な雰囲気をたたえています。
またエトルリア以来の古い歴史を誇り、15 世紀にはメデ
ィチ家のもとルネッサンス文化の花を咲かせ、ヨーロッパ
の経済・ファッションの中心地として各国に大きな影響を
与えています。
同市内では大型バスの乗り入れ規制があり、炎天下の徒
歩での移動を余儀なくされ、体力の消耗度の激しい視察と
なりました。
フィレンツエでの主な視察先はウフィツイ美術館、ベッ
キオ橋、ミケランジェロ広場です。
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〈ウフィツイ美術館〉
この美術館は16 世紀にメディチ家により造られました。
メディチ家はフィレンツエを3 世紀にわたり支配したのみ
でなく、類い希なる古代美術を愛好する芸術保護者でもあ
ったのです。そしてこの建物を役所として使うとともに集
めた美術品をギャレリア( 廊下・トンネル= ギャラリー)
に置いたのが始まりです。天井に描かれているフレスコ画
は今もスカーフや灰皿などの図柄のモチーフとして使われ
ています。
そして現在はルネッサンスを代表する巨匠の作品を網羅
する世界有数の美術館と評価されています。
レオナルド・ダ・ビンチの「三博士の礼拝」「受胎告
知」、ベッロキオとレオナルド・ダ・ビンチの「キリスト
洗礼」、サンドロ・ボッティチェッリの「ヴィーナス誕生」
「春」「メダルを持つ若者の肖像」、ミケランジェロ・ブ
オナロッティの「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」、ラッフ
ァエッロの「ヒワの聖母」「教王レオ10 世と枢機卿ジュリ
オ・デ・メディチと枢機卿ルイジ・デロッシ」、ピーター
・ポール・ルーベンスの「イザベラ・ブラントの肖像」、
レンブラントの「若い頃の自画像」、フランシス・ゴヤの
「チンチョン伯爵夫人マリア・テレザの肖像」、ウジェー
ヌ・ドラクロアの「自画像」など数え上げたらキリのない
くらいの世界的に有名なそしてどこか見覚えのある展示品
は見学者を魅了しています。
〈ベッキオ橋〉
アルノ川にかかるフィレンツエ最古の橋であり、14 世紀
当時の面影をとどめています。2 階建てで1 階は貴金属店
が軒を連ね、2 階はウフィツイ美術館の一部となっていま
す。
〈ミケランジェロ広場〉
この広場は旧市街とアルノ川をへだてた丘の上にあり、
市街のすばらしい景観を一望のもとに収めています。
特に夕暮れ時の眺めは素晴らしく、ルネッサンス都市の
優美なスカイラインを堪能することができます。
ローマ( Rome)[ 2002,6,23 ~ 24 日滞在]
ガリレオ・ガリレイが落体の速度が物体の重さに比例す
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るというアリストテレスの学説の誤りを実験により明らか
にしたその実験場所、「ピサの斜塔」の視察後ローマに入
りました。
イタリアの首都ローマは同国の政治・文化・学問の中心
地であり、イタリア半島中部チベル川沿岸に位置していま
す。紀元前753 年に建設され、アウグストウス帝のときに
は古代世界最大の都市として「永遠の都」と呼ばれ、また
「すべての道はローマに通ず」といわれました。
壮大な古代ローマの遺跡、サン・ピエトロ教会をはじめ
とする大教会、各時代の美術館はイタリア3 千年の歴史を
物語っています。
ローマでの主な視察先はバチカン市国、コロッセオ、フ
ォロ・ロマーノ、リスタイリング& コンサルティング
( Restyling & Consulting ) 社です。
〈バチカン市国〉
バチカン市国の中心にはカトリックの総本山であるサン
・ピエトロ寺院があります。広大なバチカン宮殿の内部に
は歴代法王が集めたミケランジェロの「最後の審判」、ラ
ファエッロの間にある「アテネの学堂」、八角形の中庭に
ある「ラオコーン像」など数えだしたらキリのないほどの
世界屈指の美術作品が収蔵されています。
宮殿の外では衛兵が伝統衣装を身につけ警護にあたって
いました。
〈コロッセオ〉
このコロッセオは古代ローマの円形球技場です。フラヴ
ィウス家の名を不滅にするため、ヴェスパニアヌスにより
着工されています。高さは50 m 、長径188 m 、短径は156
m あり、観客席は中央の楕円形の競技場から天井桟敷まで
の階段により形成され、当時約5 万人の観客を収容してい
ました。
内部の競技場は大きな楕円形で木張りの床が敷かれてい
ましたが、現在はその床を支えていた壁やその間の廊下が
残っています。
このコロッセオで剣闘士と猛獣との闘い、剣闘士同士の
闘いが行われていました。
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〈フォロ・ロマーノ〉
フォロとは広場を意味しています。パラティーノ、カム
ピドリオ、クイリナーレの丘に囲まれたこの谷間はクロア
カ・マッシマ( 大下水道) の建設により干拓され、紀元前6
世紀頃から政治、宗教、司法、行政の中心となり繁栄しま
した。ローマ帝国崩壊後、この場所は遺跡と化してしまっ
ています。
〈リスタイリング& コンサルティング社〉
コイン投げ伝説で有名な「トレビの泉」と「ローマの休
日」でオードリー・ヘップバーンが階段を駆け下りたスペ
イン広場を視察後、イタリア郊外にあるリスタイリング&
コンサルティング社を訪問しました。
社長のルドヴィコ・カペランチ( Ludovico Cappellanti ) 氏から
同社のコンセプトや業務内容の説明を受け、大手コンサル
ティングファーム、アクセンチュア( accenture ) のベラルデ
ィ氏も加わり意見交換を行いました。
その時に交わされた内容のポイントは以下のものです。
・リスタイリング& コンサルティング社の創立は1984 年、
現在8 人のスタッフがいる。
・建築関係を専門にしている、進行過程で発生する法律問
題についてもアドバイスしている。
・レストラン、喫茶店、病院、オートサロン及びファッシ
ョン関係など多方面の建築に関わってきた。
・古代建築物は文化省の管理下に置かれているが、サンタ
マリア教会の床部分の改修を担当している。
・同社は店頭照明及び店内照明を大変重視している。
・経営に関するコンサルティングには直接関わっていな
い。専門の経営コンサルタントと連携して企業を支援し
ている。
・デザイン料は建築コストの30 ~ 40 % 請求している。
・将来日本の皆さんとプロジェクトを組み、クライアント
の相談にのりたい。リサーチ関係の仕事も連絡して欲し
い。今後共同で仕事ができることを願っている。
また、ベラルディ氏は「イタリアの商業全体の傾向として
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気づく点は世界的ブランドのハイレベルファッションは好
調であり、何の問題もない。しかし最近その下のレベルの
ファッションビジネスが郊外店化の影響を受けはじめつつ
ある。」と述べられています。
最後に
以上イタリア視察を駆け足で報告しました。バスの移動
中のレクチャーで小濱先生が今回の研修意義について述べ
られたのは「文化や環境からの視点で商業をとらえる重要
性」でした。
私自身アメリカやアジアへは何度か視察した経験があ
り、これらのモノサシで商業ビジネスを解釈してきました
が、今回の視察で今まで持っていなかったモノサシを一つ
手に入れたような気がしました。
また、前田先生の世界一の商店街である「ビットリオ・
エマヌエーレⅡ 世ガレリア」の定点観察に同行させていた
だいたことは貴重な体験だったと感じています。
今回の視察が終わり、訪問した地域のなかでミラノとフ
ィレンツエをもう一度時間をかけて見てみたいと感じたの
は私一人ではなかったと思います。
最後に一緒に楽しく有意義な視察をさせていただいた小
濱先生、坪田先生、前田先生、井田先生、滝頭先生ご夫妻、
門間先生ご夫妻にお礼を申しあげて、本報告の結びとさせ
ていただきます。
「SPN 通信第25 号」販売促進学会2002 年11 号執筆原稿