2 0 0 2 年販売促進学会イタリア視察
2007年01月04日

2 0 0 2 年販売促進学会イタリア視察
鐘井輝
成田空港から12 時間、ミラノのマルペンサ空港に到着
してから今回のイタリア視察が始まりました。様々な角度
からアメリカの影響を色濃く受けているわが国ですが、育
まれた伝統や文化に基づいて独自の考え方や路線を追求す
るイタリアに新鮮さを感じる視察となりました。

最後の訪問地ローマでのことですが、「大きくなったら
何になりたい? 」というイタリア人の子供に対しての質問
の答えは「自分自身になりたい」でした。日本でしたら「お
父さんみたいになりたい」、「お母さんみたいになりたい」
あるいは「野球選手になりたい」、「お医者さんになりた
い」などと答えが返ってくるかも知れません。ここからも
自分自身の個性や主張を大変尊重する風土の一端が感じら
れます。
またファッションと歴史的建築物や美術品で世界中の人
々を魅了するイタリアですが、このファッションについて
もこの視察で再認識をすることができました。
それは「ファッション= 流行」が多くの人々がその時に
流行しているものを身につけるということではないという
こと。年齢や体型など個人のチャームポイントや個性を最
大限に生かすお洒落を自分なりに取り入れていくというこ
とです。従ってファッションは若い人だけが取り入れるも
のではなく、大人が自分自身を魅力的に演出する方法とし
て生かされています。

それでは駆け足ですが、今回視察したミラノ( Milano )、
ベネチア( Venezia ) 、フィレンツエ( Firenze ) そしてローマ
( Rome ) について報告することにしましょう。
ミラノ( Milano)[ 2002,6,19 ~ 20 日滞在]
ミラノはイタリア経済、ファッション、デザインの中心
地でイタリア北部の都といわれています。
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首都ローマより国際便の発着回数が多いことからも同市
の中心性の強さがうかがえます。パリと並んで世界のファ
ッションの発信地であり、ミラノコレクションは有名です。
様々な見本市が開催されその時期には人口が倍増するとい
われています。ファッションの都を象徴するかのような
「糸と針」のモニュメントが市内中心部に設置されていま
す。この洒落たモニュメントには「なるほど」
と感心させられました。

ミラノでの主な視察先はサンタマリア・デレ・グラツイ
エ教会、ドウオモ( 大聖堂)、ビットリオ・エマヌエーレ
Ⅱ 世ガレリアです。
〈サンタマリア・デレ・グラツイエ教会〉
この教会はルネッサンス建築を代表する建物です。15 世
紀にドメニコ会の教会として建てられ、旧修道院食堂の壁
画にレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」が描かれて
います。「最後の晩餐」はキリストが「この中に裏切り者
がいる」と言った瞬間が表現されているといわれ、遠近法
テクニックや窓からの採光技術で見学者に感動を与えてい
ます。人体解剖なども含め、多方面で天才的能力を発揮し
たレオナルド・ダ・ビンチはビットリオ・エマヌエーレⅡ
世の衣装デザインも行っていたようです。ミラノファッション
の原点をかいま見たような気がしました。
〈ドウオモ( 大聖堂)〉
大聖堂はミラノの中心部に位置し、14 世紀に起工、19 世
紀に完成したイタリア中世最大の教会( 高さ108.5 m 、奥行
158 m 、最大幅93 m ) です。教会は東向きに設計され、朝
一番よく見えるようにゴシック様式で建てられています。
大聖堂内部は巨大な円柱が立ち並び広大な空間を生んで
います。またそこには15 世紀に作られた数多くのステン
ドグラスがはめ込まれています。
これらのステンドグラスには絵本の役割があり、一番下
の左側から順に右へすすみ信者に絵で宗教を教えていま
す。美しいステンドグラスの本来の重要な役割を知ること
ができました。
〈ビットリオ・エマヌエーレⅡ 世ガレリア〉
ドウオモ広場とスカラ座( 世界的に有名な格式の高いオ
ペラ座、18 世紀に再建され現在修復中) 前広場を結ぶ壮大
なアーケード( 1877 年完成) です。十字形の平面の上に巨
大なアーチとガラスで建っています。数多くのブティック、
カフェ、レストランが並び営業をしている所です。
ガレリアの近くにあるモンテ・ナポレオーネ通り、スピ
ーガ通りなどには世界的に有名な専門店が数多く点在して
います。( 写真3 セリーヌ、写真4 ディオール)
今注目のドライビングシューズ専門店「TOD'S 」でスリッ
プオンタイプのローファーを時間の関係で買い逃したのが
心残りです。
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ベネチア( Venezia)[ 2002,6,21 日滞在]
ロメオとジュリエットの舞台となったベローナで休憩を
とり、ベネチアに到着しました。
ベネチアはイタリアの北東部、アドリア海に面した「水
の都」です。11 ~ 13 世紀の十字軍時代に現在の都市形態
の基本を整え、14 ~ 15 世紀に繁栄の頂点を極め、「アドリ
ア海の女王」の名をほしいままにしていました。絹・宝石
・塩などの独占販売などで海運共和国として栄え、その海
運技術や外交能力を発揮し、得られた富で「水の都」を彩
っています。118 の島が多数の橋と運河で結ばれ、世界有
数の観光都市を形成しています。
狭い水路を巧みに運転するゴンドラに乗って聞くことの
できたアコーディオン& カンツオーネにはベネチアならで
はの風情が感じられました。
ベネチアでの主な視察先はサン・マルコ広場、ドウカー
レ宮殿、リアルト橋です。
〈サンマルコ広場〉
この広場はサン・マルコ寺院( 総督の礼拝堂で、ギリシ
ャ十字形平面を持つビザンチン建築の傑作、11 ~ 17 世紀)
に面してドウカーレ宮殿、旧図書館、鐘楼に囲まれていま
す。ベネチア共和国の公式広場の公式広場として歴史的な
行事が行われてきました。イタリアでは6 月20 日から学校
が夏休みに入っており、バカンスシーズンで多くの観光客
が同広場を訪れています。
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〈ドウカーレ宮殿〉
ベネチア共和国の総督の邸宅兼政庁であった建物です。
14 ~ 16 世紀のゴシック様式でありながら軽やかで華麗な
姿は「アドリア海の女王」を代表するにふさわしい建築物
だといえるでしょう。同宮殿にある裁判所がシェイクスピ
アの戯曲「ベニスの商人」の舞台となっています。
同宮殿の北側には運河を隔てて隣接し、牢獄が建てられ
ています。宮殿の裁判所で刑を言い渡された囚人が橋を渡
りながら現世への別れを告げたところであることから「た
め息の橋」と呼ばれています。この場所で我々も40 ℃ 近
くの暑さのなかの視察で思わずため息をついていました。
〈リアルト橋〉
この橋は16 世紀に完成した大運河のほぼ中央にかかる
大理石の橋です。橋の上は多くの商店が軒を連ね、さらに
周辺にも商店が営業を行い、ベネチアで一番の賑わいのあ
る繁華街を形成しています。また運河沿いには市場も営業
をしており、活気に満ちています。
フィレンツエ( Firenze )[ 2002,6,22 日滞在]
フィレンツエはイタリア中部のアルノ湖畔にある古都で
す。まるで街全体が美術館であるかの様相を呈しています。
( 写真8 )
市内のいたるところに栄華の後が残り、「花の都」にふさ
わしい優雅な雰囲気をたたえています。
またエトルリア以来の古い歴史を誇り、15 世紀にはメデ
ィチ家のもとルネッサンス文化の花を咲かせ、ヨーロッパ
の経済・ファッションの中心地として各国に大きな影響を
与えています。
同市内では大型バスの乗り入れ規制があり、炎天下の徒
歩での移動を余儀なくされ、体力の消耗度の激しい視察と
なりました。
フィレンツエでの主な視察先はウフィツイ美術館、ベッ
キオ橋、ミケランジェロ広場です。
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〈ウフィツイ美術館〉
この美術館は16 世紀にメディチ家により造られました。
メディチ家はフィレンツエを3 世紀にわたり支配したのみ
でなく、類い希なる古代美術を愛好する芸術保護者でもあ
ったのです。そしてこの建物を役所として使うとともに集
めた美術品をギャレリア( 廊下・トンネル= ギャラリー)
に置いたのが始まりです。天井に描かれているフレスコ画
は今もスカーフや灰皿などの図柄のモチーフとして使われ
ています。
そして現在はルネッサンスを代表する巨匠の作品を網羅
する世界有数の美術館と評価されています。
レオナルド・ダ・ビンチの「三博士の礼拝」「受胎告
知」、ベッロキオとレオナルド・ダ・ビンチの「キリスト
洗礼」、サンドロ・ボッティチェッリの「ヴィーナス誕生」
「春」「メダルを持つ若者の肖像」、ミケランジェロ・ブ
オナロッティの「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」、ラッフ
ァエッロの「ヒワの聖母」「教王レオ10 世と枢機卿ジュリ
オ・デ・メディチと枢機卿ルイジ・デロッシ」、ピーター
・ポール・ルーベンスの「イザベラ・ブラントの肖像」、
レンブラントの「若い頃の自画像」、フランシス・ゴヤの
「チンチョン伯爵夫人マリア・テレザの肖像」、ウジェー
ヌ・ドラクロアの「自画像」など数え上げたらキリのない
くらいの世界的に有名なそしてどこか見覚えのある展示品
は見学者を魅了しています。
〈ベッキオ橋〉
アルノ川にかかるフィレンツエ最古の橋であり、14 世紀
当時の面影をとどめています。2 階建てで1 階は貴金属店
が軒を連ね、2 階はウフィツイ美術館の一部となっていま
す。
〈ミケランジェロ広場〉
この広場は旧市街とアルノ川をへだてた丘の上にあり、
市街のすばらしい景観を一望のもとに収めています。
特に夕暮れ時の眺めは素晴らしく、ルネッサンス都市の
優美なスカイラインを堪能することができます。
ローマ( Rome)[ 2002,6,23 ~ 24 日滞在]
ガリレオ・ガリレイが落体の速度が物体の重さに比例す
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るというアリストテレスの学説の誤りを実験により明らか
にしたその実験場所、「ピサの斜塔」の視察後ローマに入
りました。
イタリアの首都ローマは同国の政治・文化・学問の中心
地であり、イタリア半島中部チベル川沿岸に位置していま
す。紀元前753 年に建設され、アウグストウス帝のときに
は古代世界最大の都市として「永遠の都」と呼ばれ、また
「すべての道はローマに通ず」といわれました。
壮大な古代ローマの遺跡、サン・ピエトロ教会をはじめ
とする大教会、各時代の美術館はイタリア3 千年の歴史を
物語っています。
ローマでの主な視察先はバチカン市国、コロッセオ、フ
ォロ・ロマーノ、リスタイリング& コンサルティング
( Restyling & Consulting ) 社です。
〈バチカン市国〉
バチカン市国の中心にはカトリックの総本山であるサン
・ピエトロ寺院があります。広大なバチカン宮殿の内部に
は歴代法王が集めたミケランジェロの「最後の審判」、ラ
ファエッロの間にある「アテネの学堂」、八角形の中庭に
ある「ラオコーン像」など数えだしたらキリのないほどの
世界屈指の美術作品が収蔵されています。
宮殿の外では衛兵が伝統衣装を身につけ警護にあたって
いました。
〈コロッセオ〉
このコロッセオは古代ローマの円形球技場です。フラヴ
ィウス家の名を不滅にするため、ヴェスパニアヌスにより
着工されています。高さは50 m 、長径188 m 、短径は156
m あり、観客席は中央の楕円形の競技場から天井桟敷まで
の階段により形成され、当時約5 万人の観客を収容してい
ました。
内部の競技場は大きな楕円形で木張りの床が敷かれてい
ましたが、現在はその床を支えていた壁やその間の廊下が
残っています。
このコロッセオで剣闘士と猛獣との闘い、剣闘士同士の
闘いが行われていました。
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〈フォロ・ロマーノ〉
フォロとは広場を意味しています。パラティーノ、カム
ピドリオ、クイリナーレの丘に囲まれたこの谷間はクロア
カ・マッシマ( 大下水道) の建設により干拓され、紀元前6
世紀頃から政治、宗教、司法、行政の中心となり繁栄しま
した。ローマ帝国崩壊後、この場所は遺跡と化してしまっ
ています。
〈リスタイリング& コンサルティング社〉
コイン投げ伝説で有名な「トレビの泉」と「ローマの休
日」でオードリー・ヘップバーンが階段を駆け下りたスペ
イン広場を視察後、イタリア郊外にあるリスタイリング&
コンサルティング社を訪問しました。
社長のルドヴィコ・カペランチ( Ludovico Cappellanti ) 氏から
同社のコンセプトや業務内容の説明を受け、大手コンサル
ティングファーム、アクセンチュア( accenture ) のベラルデ
ィ氏も加わり意見交換を行いました。
その時に交わされた内容のポイントは以下のものです。
・リスタイリング& コンサルティング社の創立は1984 年、
現在8 人のスタッフがいる。
・建築関係を専門にしている、進行過程で発生する法律問
題についてもアドバイスしている。
・レストラン、喫茶店、病院、オートサロン及びファッシ
ョン関係など多方面の建築に関わってきた。
・古代建築物は文化省の管理下に置かれているが、サンタ
マリア教会の床部分の改修を担当している。
・同社は店頭照明及び店内照明を大変重視している。
・経営に関するコンサルティングには直接関わっていな
い。専門の経営コンサルタントと連携して企業を支援し
ている。
・デザイン料は建築コストの30 ~ 40 % 請求している。
・将来日本の皆さんとプロジェクトを組み、クライアント
の相談にのりたい。リサーチ関係の仕事も連絡して欲し
い。今後共同で仕事ができることを願っている。
また、ベラルディ氏は「イタリアの商業全体の傾向として
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気づく点は世界的ブランドのハイレベルファッションは好
調であり、何の問題もない。しかし最近その下のレベルの
ファッションビジネスが郊外店化の影響を受けはじめつつ
ある。」と述べられています。
最後に
以上イタリア視察を駆け足で報告しました。バスの移動
中のレクチャーで小濱先生が今回の研修意義について述べ
られたのは「文化や環境からの視点で商業をとらえる重要
性」でした。
私自身アメリカやアジアへは何度か視察した経験があ
り、これらのモノサシで商業ビジネスを解釈してきました
が、今回の視察で今まで持っていなかったモノサシを一つ
手に入れたような気がしました。
また、前田先生の世界一の商店街である「ビットリオ・
エマヌエーレⅡ 世ガレリア」の定点観察に同行させていた
だいたことは貴重な体験だったと感じています。
今回の視察が終わり、訪問した地域のなかでミラノとフ
ィレンツエをもう一度時間をかけて見てみたいと感じたの
は私一人ではなかったと思います。
最後に一緒に楽しく有意義な視察をさせていただいた小
濱先生、坪田先生、前田先生、井田先生、滝頭先生ご夫妻、
門間先生ご夫妻にお礼を申しあげて、本報告の結びとさせ
ていただきます。
「SPN 通信第25 号」販売促進学会2002 年11 号執筆原稿
ASEAN視察レポート
THAI Bangkok 視察レポート2013
臺南・高雄視察レポート 2012
臺南・高雄視察レポート 2012
北京 2011年視察レポート
中華民国台北、高雄2011視察レポート
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